sonkei


2018年2月15日(もく)  晴風

これまで生きてこられた中で、自分以外の誰か他の人になりたいと思ったことは一度もないのだけれども。

なぜ あのお方は あそこまで できるのかなぁ〜〜、こんなにも 注げるのかなぁ〜〜、すごいなぁ〜〜、と思って、「あんなふうになれたらいいなぁ〜〜。」と考えることは、あったりする。

それは 尊敬している ということで、目指したい人がいるということは、とてもいいことだと想う。そして、目指したい存在がいることで、死ぬまで追い続けて生きてゆくこと、そうこうしているうちに目指される存在にいつしかなっているのだとしたら、それは、素晴らしい循環だ。
世代を超えていく、そして、知らぬ間に継がれる物事が、その人のようなものとして、わたしのようなものとして、後世にも香る程度であったとしても、混在して遺るのだろうと思う。

それは、すなわち、わたしにとっての「メロディー」のようなものであり。わたしが歌うことのすべてに繋がっていることなのだ。

尊敬する人を愛していると、自然と幸せだ。尊敬する人にもしも裏切られるようなことがあったとしても、なんとなく、自分でポジティブに処理できるような気もする。自分が尊敬している人のことだから、これは何か他の理由や計り知れない何かがきっとあってのことだろう。と、思ってしまう。

わたしは、忠犬ハチ公だぁなぁ〜 笑

いや。それでいいのだろうと思う。
すべてが思い込みからはじまる人生の像であるのならば、わたしは自分の好きな人にこそ、尊敬する人にこそ、いろいろな跡をここに残していただきたいものだな。と心からそう想う。

目指すべくは、そこなのだ。

そうしてわたしもどこかで誰かに跡を残しているのかもしれないのだから、気が抜けないなぁと思いながら、吸って吐いて、日々響いてはトロトロにとろけながら、泣いたり笑ったり笑わせたり、みっちりと生きてゆくのだ。

しかし、尊敬に値する存在には尊敬している存在がいてそのまた先にも尊敬している存在がいるわけであり、到底追いつけるわけもないのだけれど、追いかけている行為そのものに対する姿勢が大事。

気づきを与えていただけることは、
とても有り難いことですね。


ステキなぁ〜ことですねェェェ〜〜!