そんな気持ちで、実家に寄って、過去の文章や歌詞のようなもの、思想や悲しみたちをゴミ袋に入れていった。2010〜2012年のものは殆ど捨ててきたけど。古い携帯(ガラケーボーダフォン)が見つかって、充電器を挿してみたら奇跡的に動いたので、むろん、中を見た。保管された画像たち。甥っ子が1〜2歳の頃に一緒に一つ屋根の下で暮らしていたから、甥っ子の赤ちゃんの時のめちゃんこ可愛い写真が多かったけど、そのほかは、音楽活動の画像と、公園散歩で気になったものたちや、その頃の四畳半の部屋(映画のチラシで壁が彩られていた)の写真など、懐かしい懐かしい過去が閲覧できた。そうだ、西荻窪のカフェでアルバイトしながら、サンジャックで歌い始めた頃だったなぁ。
いろいろと思い返される。
やはりこれらの活動の記憶は、捨てたくないもので、大切にしたいものだと思った。
20代が過ぎて、振り返ると、あの頃に執着していた物事、哲学思想、唯一の存在は、わりとすべて、手離したんだなぁ、と。思う。
もちろん、大事なことは、自然と自分の中にきちんと宿り続けている。
ただ、執着し続けて表現することで救われていたあの時代のわたしの心は、歌と向き合う時間以外は、とてもヒリヒリしてピリピリして、まったく余裕もなく、へらへらしながらも、内心はメラメラして色んなものが、心底許せずに葛藤していたんだ。
すべての矛先が、自分に向かい、それが歌になった。
今は、色んなものが、さておき、てな感じで。自分も含めての笑顔、平穏な方向を目指している。
今月から毎月一度は実家に顔を出しながら、自分の過去の記憶を処理するつもりでいるから、また来月、新しい発見があるかもなぁ…。
忘却したはずのものたちは、きっと、
ふとしたきっかけで、蘇るのだ。
それでも、時は戻らない。
そうだ、今を生きるのだ。