カラダのため。とか、健康のため。とか、私はよく、そんなことを念頭に置いて物事を考え、品物を買ったり、食べたりする。それが、いいことなのか、悪いことなのか、色々な面から考えると、良かったり、悪かったりする。いい面というのは、まぁ、それが本当に効能があれば、健康的でいられるということ。そして、悪い面というのは、健康にいいものは、必ず高値がついているので金銭的には不健康であること。
この矛盾は、バランス感覚が良くないと、どちらかに偏って、健康的ではいられなくなる。自分の背丈に似合わないほどの高い意識は、依存や執着心となり、とても不健康な精神状態を産むのである。恐ろしいなぁ、と思うけど。私も、一度コレだ!と思うと途端に脳内が融通利かなくなるので、気をつけなければならない。
世の中には、矛盾は、つきものだ。矛盾と言えば、私の楽曲にも、若かりし描いた曲と、それから10年ほど経過して現在描いている曲の内容には、矛盾が生じている。時の経過がそうさせている。
自分で言うのもなんだけども、その時の経過(すなわち年齢を重ねた)から出来た矛盾した曲、そこがまた好きな部分だったりする。
例えば、22歳あたりに完成させた『Swing with Love』の歌の一節に、こういう言葉がのっかっている。
〜素晴らしい世界〜
そこから、7年が経ち、29歳で描いた『すてきをさがス』では、スースー言いながら、こう伝える。
〜素晴らしい世界、なんて言わなくてもいいよ?〜
と。ライブでこの二曲をセットリストに入れて歌う時の私は、お客さんはその矛盾に気づいているのだろうか?というスリルと、若かりし頃に一生懸命伝えよう伝えよう忘れちゃダメ忘れちゃダメと思いながら作ってそれでも現実の壁にぶち当たりながら悲しみ、また立ち上がりの繰り返しに疲れ果てつつも、やっぱり熱心に歌い続けてきた、そんな過去から現在までの自分に対して、そっと頭を撫でるような気持ちでこのフレーズを歌う自分がいることを歌う度に実感していたりする。
この楽しみ方は、自分だけの特権だと思う。そんなふうに一個人的な楽しみ方をしている私のその様子を、外側からお客さんは見ておられる状況というわけなのである。
お客さんは、気づいているのだろうか。私の楽曲の中の、矛盾を。(ドキドキ)
はてさて。健康の話からいつの間にか矛盾の話になってしまいましたが、私はきっと、たぶん、なんだかんだで、たいしたもの食べないので体は健康ではないと思う。それに『老いる』という平等に皆必ず与えられた不健康が命には宿っているわけだから、真の健康体には、なり得ないものなのだなぁ、と考えている。
ただ、『健康的』で在りたい。と、強く願っている。
健康的な悲しみ方をして、健康的な涙も流す。そして、健康的に笑い、健康的な考え方をするよう心がけていたい。健康的な仕事に取り組み、健康的な矛盾を抱えながら、一生懸命生きていこうじゃぁないか。と思う。
今日は、朝、昼、とTwitterで、お菓子やアイスクリームの話題を挙げたらカラダのことを心配されてしまいました。ごめんなさい。そして、ごめんなさいより、ありがとう。( ディス イズ マイ 健康的思想 )