自分分析と助っ人の私


時々、いや、歌う自分を見る時だけは、必ず自分が他人のように見える。客観視を意識しているわけでなくて、まるで別人格が憑依してるみたいな感じで。歌う中田真由美さんがそこに居る。

(今ので「こいつ、頭おかしいんだな」もしくは、「そう思わせたいんだな」と、思った人もいるかと思う。
それはそれで、もしも興味なければ、この先は、読まない。もしくは、ただの笑い者にしてくれていいのです。そんな感じで気軽に自分分析を綴ってます。)


そして時々、そんな歌う中田真由美さんに、本来の私は、置いてけぼりをくらうことがある。あんたはちょっとお荷物だから、どこかに座って戻ってくるまで待ってなさい。みたいな感じで、歌う中田真由美さんに冷たくされる。本来の私は犬みたいなタイプなので、「待て」と言われれば、献身的にそこで待つことをする。

最近、歌う中田真由美さんは、本来の私の元に戻ってきてくれたんだと思うんだけど。

なんだかそれでも、歌う中田真由美さんは、バタバタと忙しそうにしている。

本来の私はと言うと、やりたいことが他にも色々ある。でも、歌う中田真由美さんの手が空かないと、やりたいことは、やりたいこととしてイメージをして準備を整えることくらいしか私には、出来ない。

本来の自分と思い込んでいる私の方はきっと【のんびり屋さんで、考える能力が多少ある】、そして歌う中田真由美さんはというと【俊敏で、感覚的で、考えるよりまず先に実行する】そんなタイプなのだと思う。

互いに尊敬し合う時はいいけど、尊重し合う時は、どちらの動きも鈍る。合わせて歌う中田真由美さんは、本来の私を誰かに委ねたいと、最近強く思うわけである。身体一つの中で二つがぶつかり合うから動けなくなると感じるので、だからこそそれより、体外にそういった他者が居てくれる方がまだ、尊重することに意味が深まるのだ、と思う。

そういった異性が傍らなのだとしたら、犬的男子は、歌う中田真由美さんの素晴らしいベストパートナーになるだろうと察する。それが最近の見解だ。

一方、本来の私は、歌う中田真由美さんを切り離してしまった方が一層楽なのではないだろうかと思う時がある。

常に生き急ぎすぎてる感じで、バタバタとうるさいし、最近それでも余裕が少しある感じでやるからまだ昔よりはいいと思うけど、それでも、我を忘れる時があり、そんな時は呼吸してない感じで、見てると苦しくなる。そんなによく頑張るね〜。。。なんて、のんびり見てる私。

でも、歌う中田真由美さんのことは、切り離してしまうなんて無理なのをよく知ってる私。なぜなら、私は結局、どう考えても私でしかない。
私は、歌う中田真由美さんを自由にさせる為に、必死に働いて、磨き上げ、成長させ、まるで付き人のようにして、支えてきたわけである。この先も、それは変わらないんだなぁ。ただ、自分に食べ物を与えることについては不得意なのだ。ハハハ

自分の中には、たくさんの自分が存在していることをお気づきの方は、お気づきだと思う。私は、そんな自分の中の自分を自分で役割分担させ、割り切って、単体の存在のように考えて10年くらいやってきてて、どの自分も育てながら、いい塩梅でバランス良い感じになるように努め、整ってきたのが、ここ最近だったりして。

色々と捨て去り偏ることも出来たけど、バランスを整えることを選んだのが、今の私なのだ。


歌う中田真由美さんは、最近、何故だかトーク番組にお誘い頂けるようになっている。もしかしたら、それはタイミングやブーム的なもので、すぐに過ぎてしまうものかもしれないけど、自分の中では、とても新鮮だから、面白がっている。

昨日は、何故かバナナを食べて、バナナの皮をフリフリしながら、小松原沙織さんの歌う曲を聴いていたっけ。。絵的に、どうだったんだろう?笑。

とにかく歌う中田真由美さんは、自由で羨ましいなぁ〜。あんたのために、週明けから働く私の身にもなってくれ。トホホ。
なんて言っても、それは、全部自分の為にやってることであり、合わせて中田真由美は、楽しく生きてこれていて、周囲の人たちの力を借りて、「いいものづくり」「いい歌を歌う」そこに集中することができているのだから、文句なんて言えない。

感謝しかない。


10月30日に、また別のトーク番組にお誘い頂けることになったので、みなさま、よろしければ、そちらもどうなるか、チェックしてくださいますと幸いです。
この日は、ご観覧も可能で、お越しくださった方々は、打ち上げにもご参加頂けるとのことです。

歌う中田真由美さんに会いに行って、彼女のことをみんなで笑って、一緒に聴いて過ごす、そうできたら本人もとても喜ぶだろうと思います。笑


なにやら、今日の日記には、マネージャーみたいな私が出てきてますね。

それでは、皆様、今後ともどうぞよろしくお願いいたします〜。

- 我 -